2011年 10月 26日
オオタナナエさんの仙台芋煮食堂 |
仙台でお料理&お菓子教室を主宰するオオタナナエさんと
ホーチミンでお料理教室を主宰するオーバーランドクラブが
タッグを組んで開催した「仙台芋煮食堂」。ミンミンも行ってまいりましたよ。
仙台名物・芋煮を作って食べちゃおう、というおいしい企画だけではありません。
地元仙台周辺の仮設住宅を回って、息の長い支援活動をしていこう、
というオオタナナエさんの「遊牧カフェ」活動をホーチミンでも応援しよう、
という意味も兼ねた夕べのひとときでした。
3月11日の大震災を体験したオオタナナエさん。
友人の家が流され、友人の車が流され、生徒さんの家が水につかり、避難所暮らし。
これまでの生活から見れば途方もなく大きな損失でも、いのちがあるだけよかった。
そんな体験をして、しばらくは何も手がつかなかった、と話されました。
2カ月ほどして、ようやく何か自分にできることをしたい、
でも、自分にはいったい何ができるんだろう、と逡巡したそうです。
そして、仲間といっしょに始めたのが、避難所を回っての炊き出しでした。
蒸し暑い避難所では、これでもかとハエが飛び、ギスギスした空気のなかで、
ほんのささいなことが原因のケンカが起きていました。
炊き出しのプロが初期の現場をカレーやトン汁で支えてきたのでしょう。
現場では意外にも「カレーとトン汁以外で」との声がありました。
そして、オオタさんたちがベトナムのおやつ「ボッチン」を作ると、
ベトナム料理なんか食べたこともない、というお年寄りたちからも喜ばれたそうです。
あの日から数カ月が経ち、行政の支援は避難所から仮設住宅へ。
初めて知ったのですが、仮設住宅では光熱費など自己負担なのだそうです。
わずかな出費をもおさえたい人たちが移りたくない、と訴えますが、
そんな声を退けるかのように、避難所は一定時期を終えると閉鎖。
仕方なく仮設住宅へ移る人も多かったそうです。
小さいながら台所もある仮設住宅。
炊き出しという形で、みんなを励ましていた遊牧カフェのみなさんは、
支援の形が変わっていくのを感じていました。
そんななか、ある仮設住宅で聞いたのが、「小さな手仕事をしたい」という声。
ほんのわずかでもいい、と現金の収入を望む人たちの声でした。
その声を受けて、遊牧カフェが来月行うのは、
縫物をしながらちょっとお茶とお菓子を楽しみましょう、というもの。
手を動かすことで、ほっこりと心をゆるしておしゃべりするだけでも、何かが変わったらいい。
復興も進み、本格的に商売をしている人も出てきているなか、
商売を邪魔することなく、手仕事をした人たちに何か還元できるような形はないだろうか。
そんなことを考え続けながら、遊牧カフェはゆっくりと確かな支援を続けていきたい。
そう、オオタナナエさんは話してくださいました。
今、大手メディアからも大震災の写真集がたくさん出ているそうです。
目をそむけたくなるものも多い。
でも、そのときの大きな衝撃だけを記憶にとどめるのではなく、
多くの人たちの折れてしまった心にしずかにずっと寄り添っていくこと、
忘れないでいることこそ、大事なんじゃないかと思います。
そんな活動を続ける遊牧カフェを、
異国のホーチミンから、小さな小さな形でも応援できたことは、とてもうれしかったです。
そして、芋煮。それに、山形のダシ。
バンメトートの無農薬野菜もたっぷりと盛りこんで、
おいしいおいしい夕ごはんをいただきました。
ホーチミンでお料理教室を主宰するオーバーランドクラブが
タッグを組んで開催した「仙台芋煮食堂」。ミンミンも行ってまいりましたよ。
仙台名物・芋煮を作って食べちゃおう、というおいしい企画だけではありません。
地元仙台周辺の仮設住宅を回って、息の長い支援活動をしていこう、
というオオタナナエさんの「遊牧カフェ」活動をホーチミンでも応援しよう、
という意味も兼ねた夕べのひとときでした。
3月11日の大震災を体験したオオタナナエさん。
友人の家が流され、友人の車が流され、生徒さんの家が水につかり、避難所暮らし。
これまでの生活から見れば途方もなく大きな損失でも、いのちがあるだけよかった。
そんな体験をして、しばらくは何も手がつかなかった、と話されました。
2カ月ほどして、ようやく何か自分にできることをしたい、
でも、自分にはいったい何ができるんだろう、と逡巡したそうです。
そして、仲間といっしょに始めたのが、避難所を回っての炊き出しでした。
蒸し暑い避難所では、これでもかとハエが飛び、ギスギスした空気のなかで、
ほんのささいなことが原因のケンカが起きていました。
炊き出しのプロが初期の現場をカレーやトン汁で支えてきたのでしょう。
現場では意外にも「カレーとトン汁以外で」との声がありました。
そして、オオタさんたちがベトナムのおやつ「ボッチン」を作ると、
ベトナム料理なんか食べたこともない、というお年寄りたちからも喜ばれたそうです。
あの日から数カ月が経ち、行政の支援は避難所から仮設住宅へ。
初めて知ったのですが、仮設住宅では光熱費など自己負担なのだそうです。
わずかな出費をもおさえたい人たちが移りたくない、と訴えますが、
そんな声を退けるかのように、避難所は一定時期を終えると閉鎖。
仕方なく仮設住宅へ移る人も多かったそうです。
小さいながら台所もある仮設住宅。
炊き出しという形で、みんなを励ましていた遊牧カフェのみなさんは、
支援の形が変わっていくのを感じていました。
そんななか、ある仮設住宅で聞いたのが、「小さな手仕事をしたい」という声。
ほんのわずかでもいい、と現金の収入を望む人たちの声でした。
その声を受けて、遊牧カフェが来月行うのは、
縫物をしながらちょっとお茶とお菓子を楽しみましょう、というもの。
手を動かすことで、ほっこりと心をゆるしておしゃべりするだけでも、何かが変わったらいい。
復興も進み、本格的に商売をしている人も出てきているなか、
商売を邪魔することなく、手仕事をした人たちに何か還元できるような形はないだろうか。
そんなことを考え続けながら、遊牧カフェはゆっくりと確かな支援を続けていきたい。
そう、オオタナナエさんは話してくださいました。
今、大手メディアからも大震災の写真集がたくさん出ているそうです。
目をそむけたくなるものも多い。
でも、そのときの大きな衝撃だけを記憶にとどめるのではなく、
多くの人たちの折れてしまった心にしずかにずっと寄り添っていくこと、
忘れないでいることこそ、大事なんじゃないかと思います。
そんな活動を続ける遊牧カフェを、
異国のホーチミンから、小さな小さな形でも応援できたことは、とてもうれしかったです。
そして、芋煮。それに、山形のダシ。
バンメトートの無農薬野菜もたっぷりと盛りこんで、
おいしいおいしい夕ごはんをいただきました。
by bonjour_hochiminh
| 2011-10-26 17:36
| ホーチミン