2011年 11月 02日
無常 |
フーコック島の砂浜で。
朝の太陽を浴びながら、ゆっくり歩いてみます。
ギュッギュッと足の裏で踏んだ足跡は、
ずっとずっとまっすぐ続きますが、いつの間にか波にさらわれていきます。
今朝、89歳の瀬戸内寂聴さんがテレビでお話ししていました。
時はとまることなく流れ、前へ進んでいく。
それを「無常」と言うのだそうです。
たしかに、現実には「常」という状態はありません。
心の中で保とうとすることはできても。
ムジョウという音は、
学校で平家物語の「諸行無常」を暗唱しなさいと言われたおかげで、
なんとなく覚えていて、サラソウジュノ…なんていう次の句も出てきます。
でも今朝のテレビで、改めて「無常」という言葉の仏教的な意味を、ちょっとだけ意識しました。
今は今しかないんだなぁ。
その奇跡の一瞬をかみしめ、ふみしめて、ちょっとずつでも進んでいけたら。
足跡は波にさらわれても、足跡を残した経験は、小さな糧となって積まれていく。
お友だちが新天地で仕事をすることになった、といううれしい一報も聞いて、
そんなことを、ゆるりと思った夕べなのでした。
朝の太陽を浴びながら、ゆっくり歩いてみます。
ギュッギュッと足の裏で踏んだ足跡は、
ずっとずっとまっすぐ続きますが、いつの間にか波にさらわれていきます。
今朝、89歳の瀬戸内寂聴さんがテレビでお話ししていました。
時はとまることなく流れ、前へ進んでいく。
それを「無常」と言うのだそうです。
たしかに、現実には「常」という状態はありません。
心の中で保とうとすることはできても。
ムジョウという音は、
学校で平家物語の「諸行無常」を暗唱しなさいと言われたおかげで、
なんとなく覚えていて、サラソウジュノ…なんていう次の句も出てきます。
でも今朝のテレビで、改めて「無常」という言葉の仏教的な意味を、ちょっとだけ意識しました。
今は今しかないんだなぁ。
その奇跡の一瞬をかみしめ、ふみしめて、ちょっとずつでも進んでいけたら。
足跡は波にさらわれても、足跡を残した経験は、小さな糧となって積まれていく。
お友だちが新天地で仕事をすることになった、といううれしい一報も聞いて、
そんなことを、ゆるりと思った夕べなのでした。
by bonjour_hochiminh
| 2011-11-02 22:38
| ベトナム